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夏目漱石の吾輩は猫である1ページ目 の場合の 文字スクロールの様子のgif動画 



夏目漱石の吾輩は猫である の場合の表紙


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夏目漱石

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。本名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。
俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪の一人。
代表作は『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』夏目漱石

吾輩は猫である 第一話

吾輩は猫である』(わがはいはねこである)は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。
1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表されたのだが、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで継続した。 上、1906年10月刊、中、1906年11月刊、下、1907年5月刊。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まり、中学校の英語教師である珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様が風刺的・戯作的に描かれている。

あらすじ

第一話
「吾輩」の最初の記憶は、「薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた」ことである。出生の場所は当人の記憶にはない(とんと見当がつかぬ)。その後まもなく書生に拾われ、書生が顔の真ん中から煙を吹いていたものがタバコであることをのちに知る。書生の掌の上で運ばれ(移動には何を利用したかは不明)、笹原に我輩だけ遺棄される。その後大きな池の前〜何となく人間臭い所〜竹垣の崩くずれた穴から、とある邸内に入り込み、下女につまみ出されそうになったところを教師(苦沙弥先生)に拾われ、住み込む。
人間については飼い主の言動によりわがままであること、また白君や三毛君の話から不人情で泥棒も働く不徳者であると判断する。

登場人物


吾輩(主人公の猫)
珍野家で飼われている雄猫。本編の語り手。「吾輩」は一人称であり、彼自身に名前はない。人間の生態を鋭く観察したり、猫ながら古今東西の文芸に通じており哲学的な思索にふけったりする。人間の内心を読むこともできる。

珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)
猫「吾輩」の飼い主で、文明中学校の英語教師。妻と3人の娘がいる。偏屈な性格で、胃が弱く、ノイローゼ気味である(漱石自身がモデルとされる)。

車屋(くるまや)の黒(くろ)
大柄な雄の黒猫。べらんめえ調で教養がなく、大変な乱暴者なので「吾輩」は恐れている。

迷亭(めいてい)
苦沙弥の友人の美学者。ホラ話で人をかついで楽しむのが趣味の粋人。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』吾輩は猫である

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夏目漱石 の 吾輩は猫である(4) の表紙


吾輩は猫である(4)の1ページ目の一文 昨夜は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛って置いたのを誰かが立派な額にして欄間に懸けてくれた夢を見た。

昨夜(ゆうべ)は僕(ぼく)が水彩画(すいさいが)をかいて到底(とうてい)物(もの)にならんと思って、そこらに抛(ほう)って置(お)いたのを誰(だれ)かが立派(りっぱ)な額(がく)にして欄間(らんま)に懸(か)けてくれた夢(ゆめ)を見た。さて額(がく)になったところを見ると我(われ)ながら急(きゅう)に上手(じょうず)になった。非常(ひじょう)に嬉(うれ)しい。これなら立派(りっぱ)なものだと独(ひと)りで眺(なが)め暮(く)らしていると、夜が明けて眼(め)が覚(さ)めてやはり元の通り下手(へた)である事(こと)が朝日と共(とも)に明瞭(めいりょう)になってしまった。


吾輩は猫である(4)の2ページ目の一文 主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美学者が久し振りで主人を訪問した。

 主人は夢の裡(り)まで水彩画(すいさいが)の未練(みれん)を背負(せお)ってあるいていると見える。これでは水彩画家(がか)は無論(むろん)|夫子(ふうし)の所謂(いわゆる)通人(つうじん)にもなれない質(たち)だ。  主人(しゅじん)が水彩画(すいさいが)を夢(ゆめ)に見た翌日(よくじつ)例(れい)の金縁(きんぶち)|眼鏡(めがね)の美(び)学者(がくしゃ)が久(ひさ)し振(ぶ)りで主人(しゅじん)を訪問(ほうもん)した。彼は座(ざ)につくと劈頭(へきとう)第一に「画(え)はどうかね」と口を切った。


吾輩は猫である(4)の3ページ目の一文 西洋では昔しから写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ

主人(しゅじん)は平気(へいき)な顔をして「君(きみ)の忠告(ちゅうこく)に従(したが)って写生(しゃせい)を力(つと)めているが、なるほど写生(しゃせい)をすると今まで気のつかなかった物(もの)の形や、色の精細(せいさい)な変化(へんか)などがよく分(わか)るようだ。西洋(せいよう)では昔(むかし)しから写生(しゃせい)を主張(しゅちょう)した結果(けっか)|今日(こんにち)のように発達(はったつ)したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事(こと)はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心(かんしん)する。


吾輩は猫である(4)の4ページ目の一文 何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造した話だ。

美学者(びがくしゃ)は笑(わら)いながら「実(じつ)は君(きみ)、あれは出鱈目(でたらめ)だよ」と頭を掻(か)く。「何が」と主人(しゅじん)はまだいつ わられた事(こと)に気がつかない。 「何がって君(きみ)のしきりに感服(かんぷく)しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕(ぼく)のちょっと捏造(ねつぞう)した話だ。君(きみ)がそんなに真面目(まじめ)に信(しん)じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦(だいきえつ)の体(てい)である。


吾輩は猫である(4)の5ページ目の一文 アンドレア・デル・サルト事件が主人の情線にいかなる響を伝えたかを毫も顧慮せざるもののごとく得意になって下のような事を饒舌った。

吾輩(わがはい)は椽側(えんがわ)でこの対話(たいわ)を聞いて彼(かれ)の今日(きょう)の日記にはいかなる事(こと)が記さるるであろうかと予(あらかじ)め想像(そうぞう)せざるを得(え)なかった。この美学者(びがくしゃ)はこんな好加減(いいかげん)な事(こと)を吹(ふ)き散(ち)らして人を担(かつ)ぐのを唯一(ゆいいつ)の楽にしている男である。 彼(かれ)はアンドレア・デル・サルト事件(じけん)が主人(しゅじん)の情線(じょうせん)にいかなる響(ひびき)を伝(つた)えたかを毫(ごう)も顧慮(こりょ)せざるもののごとく得意(とくい)になって下のような事(こと)を饒舌(しゃべ)った。


吾輩は猫である(4)の6ページ目の一文 せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言った

「いや時々|冗談(じょうだん)を言うと人が真(ま)に受(う)けるので大(に滑稽(こっけい)的美感(びかん)を挑撥(ちょうはつ)するのは面白(おもしろ)い。せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告(ちゅうこく)して彼(かれ)の一世(いっせい)の大著述(だいちょじゅつ)なる仏国(ふっこく)革命(かくめい)史(し)を仏語(ふつご)で書くのをやめにして英文(えいぶん)で出版(しゅっぱん)させたと言ったら、その学生がまた馬鹿(ばか)に記憶(きおく)の善(よ)い男で、日本文学会の演説会(えんぜつかい)で真面目(まじめ)に僕(ぼく)の話した通りを繰(く)り返(かえ)したのは滑稽(こっけい)であった。


吾輩は猫である(4)の7ページ目の一文 或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノの話しが出たから僕はあれは歴史小説の中で白眉である。

ところがその時の傍聴者(ぼうちょうしゃ)は約(やく)百名ばかりであったが、皆(みな)熱心(ねっしん)にそれを傾聴(けいちょう)しておった。それからまだ面白(おもしろ)い話がある。せんだって或(あ)る文学者(ぶんがくしゃ)のいる席(せき)でハリソンの歴史小説セオファーノの話しが出たから僕(ぼく)はあれは歴史小説の中で白眉(はくび)である。


吾輩は猫である(4)の8ページ目の一文 僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った。神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。

ことに女主人公が死(し)ぬところは鬼気(きき)人を襲(おそ)うようだと評(ひょう)したら、僕(ぼく)の向(むこ)うに坐(すわ)っている知らんと云(い)った事(こと)のない先生が、そうそうあすこは実(じつ)に名文だといった。それで僕(ぼく)はこの男もやはり僕(ぼく)同様(どうよう)この小説(しょうせつ)を読んでおらないという事(こと)を知った」神経(しんけい)胃弱(いじゃく)性(せい)の主人は眼(め)を丸くして問(と)いかけた。


吾輩は猫である(4)の9ページ目の一文 美学者は少しも動じない。「なにその時ゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。

「そんな出鱈目(でたらめ)をいってもし相手(あいて)が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺(あざむ)くのは差支(さしつかえ)ない、ただ化(ばけ)の皮(かわ)があらわれた時は困(こま)るじゃないかと感(かん)じたもののごとくである。美学者(びがくしゃ)は少しも動(どう)じない。「なにその時ゃ別(べつ)の本と間違(まちが)えたとか何とか云(い)うばかりさ」と云(い)ってけらけら笑(わら)っている。


吾輩は猫である(4)の10ページ目の一文 この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある。レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院(じいん)の壁(かべ)のしみを写(うつ)せと教えた事(こと)があるそうだ。

この美(び)学者(がくしゃ)は金縁(きんぶち)の眼鏡(めがね)は掛(か)けているがその性質(せいしつ)が車屋(くるまや)の黒に似(に)たところがある。主人(しゅじん)は黙(だま)って日の出を輪(わ)に吹(ふ)いて吾輩(わがはい)にはそんな勇気(ゆうき)はないと云(い)わんばかりの顔をしている。美(び)学者(がくしゃ)はそれだから画(え)をかいても駄目(だめ)だという目付(めつき)で「しかし冗談(じょうだん)は冗談(じょうだん)だが画(え)というものは実際(じっさい)むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院(じいん)の壁(かべ)のしみを写(うつ)せと教えた事(こと)があるそうだ。


吾輩は猫である(4)の11ページ目の一文 実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね。

なるほど雪隠(せついん)などに這入(はい)って雨の漏(も)る壁(かべ)を余念(よねん)なく眺(なが)めていると、なかなかうまい模様(もよう)画(え)が自然(しぜん)に出来(でき)ているぜ。君(きみ)注意(ちゅうい)して写生(しゃせい)して見給(たま)えきっと面白(おもしろ)いものが出来(でき)るから」「また欺(だま)すのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実際(じっさい)奇警(きけい)な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事(こと)だあね」「なるほど奇警(きけい)には相違(そうい)ないな」と主人(しゅじん)は半分降参(こうさん)をした。


吾輩は猫である(4)の12ページ目の一文 しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。

しかし彼(かれ)はまだ雪隠(せついん)で写生(しゃせい)はせぬようだ。  車屋(くるまや)の黒はその後跛(びっこ)になった。彼(かれ)の光沢(こうたく)ある毛は漸々(ぜんぜん)色が褪(さ)めて抜(ぬ)けて来る。吾輩(わがはい)が琥珀(こはく)よりも美(うつく)しいと評(ひょう)した彼(かれ)の眼(め)には眼脂(めやに)が一杯(いっぱい)たまっている。ことに著(いちじ)るしく吾輩(わがはい)の注意(ちゅうい)を惹(ひ)いたのは彼(かれ)の元気の消沈(しょうちん)とその体格(たいかく)の悪(わる)くなった事(こと)である。


吾輩は猫である(4)の13ページ目の一文 赤松の間に二三段の紅を綴った紅葉は昔しの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁をこぼした紅白の山茶花も残りなく落ち尽した。

吾輩(わがはい)が例(れい)の茶園で彼(かれ)に逢(あ)った最後(さいご)の日、どうだと云(い)って尋(たず)ねたら「いたちの最後屁(さいごっぺ)と肴屋(さかなや)の天秤棒(てんびんぼう)には懲々(こりごり)だ」といった。  赤松(あかまつ)の間に二三段(だん)の紅(べに)を綴(つづ)った紅葉(こうよう)は昔(むかし)しの夢(ゆめ)のごとく散(ち)ってつくばいに近く代(かわ)る代(がわ)る花弁(はなびら)をこぼした紅白(こうはく)の山茶花(さざんか)も残(のこ)りなく落(お)ち尽(つく)した。


吾輩は猫である(4)の14ページ目の一文 人が来ると教師が厭だ厭だという。水彩画も滅多にかかない。タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。

三間半(さんけんはん)の南向(みなみむき)の椽側(えんがわ)に冬の日脚(ひあし)が早く傾(かたむ)いて木枯(こがらし)の吹(ふ)かない日はほとんど稀(まれ)になってから吾輩(わがはい)の昼寝(ひるね)の時間も狭(せば)められたような気がする。  主人(しゅじん)は毎日学校へ行く。帰ると書斎(しょさい)へ立(た)て籠(こも)る。人が来ると、教師(きょうし)が厭(いや)だ厭だという。水彩画(すいさいが)も滅多(めった)にかかない。タカジヤスターゼも功能(こうのう)がないといってやめてしまった。小供(こども)は感心(かんしん)に休まないで幼稚(ようち)園へかよう。


吾輩は猫である(4)の15ページ目の一文 名前はまだつけてくれないが欲をいっても際限がないから生涯この教師の家で無名の猫で終るつもりだ。

帰ると唱歌(しょうか)を歌って、毬(まり)をついて、時々吾輩(わがはい)を尻尾(しっぽ)でぶら下げる。  吾輩(わがはい)は御馳走(ごちそう)も食わないから別段(べつだん)|肥(ふと)りもしないが、まずまず健康(けんこう)で跛(びっこ)にもならずにその日その日を暮(くら)している。鼠(ねずみ)は決(けっ)して取(と)らない。おさんは未(いま)だに嫌(きら)いである。名前はまだつけてくれないが、欲(よく)をいっても際限(さいげん)がないから生涯(しょうがい)この教師(きょうし)の家で無名(むめい)の猫(ねこ)で終(おわ)るつもりだ。


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